残業

最近、高校生の数学において、解説のない問題が学校の課題として出されることが見受けられます。

「解説の丸写しにならないように」

という学校側の配慮でしょうが、個人的にはこれには大反対。


無論、提出するためだけにロクに考えもせずに解説を見ようとするのは愚かなこと。

解説に目を向ける前に、目の前の問題と格闘することがもちろん大事なこと。


しかし、脳から汗が出るほど考えた結果、自分で選んだ道が正しかったのかどうか、自分で選んだ道で正しい終着点にたどり着けるのかどうか、これを確認できないのでは、学習効果は高くはありません。



例えば、こんな問題。

y=x^3 + 3x^2 + 3x +1 とy軸とx軸に囲まれた面積を求めよ。 (「^」は指数を表す。例えば、「x^3」は、xの3乗、のこと。)

まあ、特に難しい問題ではありません。

積分の基本中の基本の問題。

多くの生徒は、難なく答えまでたどり着けるハズです。

しかし、たどり着いた答えが正しいかどうか判断できない、行き方が正しかったどうか判断できない、そうなったら困ったものです。


問題と、「答えは 1/4 (4分の1)」という情報だけでは、ちょっと物足りない気がします・・・。

これじゃあ、できる生徒にとってはつまらない。できない生徒にとっては苦痛以外の何物でもない。

そんな課題に成り下がってしまう気がするのです・・・。


せっかく、「答えの用意されている問題」という狭い箱庭で学問をやっているのですから、しっかり解説まで提示するべきだと思うのです。

狭さゆえの利点を、放棄することは勿体ない。

もちろん、彼らはこれから、「答えの用意されていない問題」と対峙しなくてはならなくなるわけですが、そのための練習とそれそのものとを混同してはいけない。

練習は、あくまで練習。

練習が正しかったかどうかは、省みることができるようにするべきだと、私は考えます。

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答えはたった一言、「1/4」です。

山登りで例えるならば、頂上にその答えがあった、というだけの話。

そんなことが大事なわけではないでしょう。

山登りの醍醐味は、頂上に何があったかではなく、頂上から見た景色がどのように感じるか、どのような過程を経て頂上にたどり着いたか、だと思うのです。

たどり着くまでの道のりを、もっと大事にして欲しいと思うわけです。



解答だけしか配られない生徒の多くが、教科書を調べたり似たような問題を探したり、そんなことに多く時間を割いています。

数学に関して言えば、ちょっとその時間は勿体無いかなとも思うわけです。

最悪のケースで、通った道がとんでもなく間違っていたにも関わらず、答えがたまたま一致した(無理やり一致させた)ということもあります。


既に向上心を高く持っている生徒のためにも、敢えて解説を渡さない指導を、見直してもらいたいものです。

そのためには、答えを丸写ししてくるような、意識の低い生徒がいなくなればよいのですが・・・。


自分にできることは何かと、自問自答し続けて、この時間・・・。

まだまだ頑張ろう・・・。

気分は登山家の、西野でした。
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