徒然なるままに

「先生は、学校の先生になる気はなかったんですかー?」

毎年のように、色んな生徒からこんな質問をされてきました。

なるほど、少子化が進むのが目に見えている情勢の中で、塾の先生なんていう不安定のど真ん中な職種を選んだ選択は、子どもらの興味の対象になるのかも知れません。



「なぜ塾の先生になったのか」

と問われれば、一番の理由は

「勉強くらいしか特技がなかったから」

です。

お陰様で何とか15年以上もこの業界で生き延び続けておりますので、

「子どもが好きか」「教育に情熱を持っているか」

と問われれば、もちろん胸を張って「YES」と答えたいところではありますが、それよりも何よりも、食っていくために自分ができること、かつ、やりたいこと、と言えば

「勉強を教えることくらいしかない」

というなんとも情けない消極的な理由に、どうしても辿り着いてしまいます。



変な話、勉強が得意で、教えることが好きなだけですから、別にその対象は子どもじゃなくても良いわけです。

近所のおじいちゃんやおばあちゃんが

「この関数を上手に微分できる方法はないかのー?」

とか、

「素数は無限にあることを証明したいんじゃが、どうしたらええかのー?」

なんて困っていれば、喜んで教えてあげたいわけです。



しかし、残念ながらそういった需要はほとんどなく、当然ながら

「子ども(孫)に、勉強の習慣をつけさせてやってください」

という需要がほとんどであるため、子どもらに勉強を教え、子どもらと一緒に勉強を頑張ることで、生計を立てさせてもらっているわけです。



需要がなくなれば、成り立たない商売。

生徒が1人もいなくなれば、廃業するしかありません。

かつてはそんな不確実な未来を不安に感じることもありましたが、今ではもう肚を決めています。

誰からも選んでもらえなくなったら、潔く辞めればいい。そんときゃそんとき。

そう思っています。



塾の先生として勉強を教えたい。

こんな気持ちは、ごく自然に湧いてきました。

これは、自分に学校の先生になるには絶対的に足りない資質があることを認識していたためでもあります。



私が中学生の頃なんかは、いわゆる「ヤンキー」達がたくさんいて、学校の先生もたいそう手を焼いていたように見えました。

それでも彼らは毎日学校に来ますから、毎日のように怒鳴り声が聞こえ、ロクに勉強もしない彼らに対しても、熱心に教育をしようとする姿を見ておりました。

勉強を教えるというよりは、生き方を教える。

そんな姿を見てきました。



私はというと、勉強を教えることは得意な方ですが、とてもじゃないですが生き方を教えるような立派な人間ではありません。

得意とは言え、「勉強なんてやるだけ無駄やろ!」とでも言い出しそうな不良達に、楽しく数学や理科を教える自信もありません。

「勉強なんて、やりたい人だけ、もしくはやらなきゃいけないと思っている人だけ、やればいい」

なんていう本音は、塾の先生には許されても、学校の先生には絶対に許されない発言でしょう。

私にとって、学校の先生という生き方は、荷が重すぎます。

たとえ安定した収入と社会的地位が約束されていようと、そのように大変重要な役割を果たすことが難しいことは自明です。


https://news.yahoo.co.jp/articles/d44b865a4279e8de69699383035c829ef88bc2c6


学校の先生という生き方が過酷過ぎることは、とうの昔からずっと叫ばれて続けていますが、残念ながら先生方の負担は増加する一方のようです。

それにも加え、近年では、安定した収入も、社会的地位も、どちらも約束されているとは言い難い状況にも映ります。

「子どもは好きなんですけど、いざ学校の先生になる自信はなくて・・・」と、せっかく教員を目指して勉強をしていたにも関わらず、途中でその夢を諦めた大学生なんかの話も、よく耳にするようになりました。

大変残念な気持ちになると同時に、その大学生のことを考えると、その選択も止む無しとも思ってしまいます。

それも残念な現実です。

中高生の間では、

「学校の先生には絶対になりたくない。めっちゃ大変そうやもん。」

なんて言われる、不人気な職業の代表格になってしまいました。



こんな残念な状況で、良いわけがありません。

「教育改革」などという遥か遠くの理想像に辿り着くためにも、眼前に山積された問題を解決することを目指すべきです。

そう言えば、「働き方改革」はどうなっているんでしょう?ちゃんと進行しているのでしょうか??

少なくとも私には、先生方の働き方が改革されているようには見えず、むしろ改悪の一途をたどっているように見えます。



では、私たちにできることは何ぞや?と、自分に問うてみます。

現場に入り込んで学校の教壇に立つ勇気もない、子どもに「生きる力」を伝える使命感もない、自分ができることは何か?と。

そうであるならば、安易に学校の批判をするなかれと、自分に言い聞かせます。

かつては塾だって、今のマスコミと同じように、公教育の足を引っ張っていた事実があります。

「学校の先生は嘘ばっかり教えるから、注意しろよ」

「俺の言うことの方が正しいから、学校の先生の言うことなんか信じたらダメやぞ」

「学校の勉強なんて全然受験対策にならんから、ちゃんと塾の勉強をするべきやぞ」

そうやって、ずいぶんと偉そうに子どもらに言い聞かせている塾の先生を、今まで何人も見てきました。

もちろん、全ての塾がそうだとは決して思いませんが、そういう側面があるという事実は把握しておかねばなりません。

塾の仕事は、学校が請け負ってくれている大部分のお陰で成り立っています。

学校がなければ、我々の仕事は成り立たない。

そんな大きな仕事をやってくれている学校に、恩を仇で返すような真似は絶対にしてはならないと思うのです。



これからの時代は、上述したような古臭いタイプの塾も、淘汰されるべき存在なのかも知れません。

塾で教える勉強だけで、十分なハズがありません。

勉強なんて、受験勉強だけで十分なハズもありません。

「学校でも頑張れ。家でも頑張れ。」

私は、いつでもこれが最適解だと信じています。

家族の支援を受け、塾にも通わせてもらえている子どもらには、

「自分が恵まれていることを自覚して、感謝の気持ちを忘れずに、塾でも頑張れ。」

とも、伝え続けねばなりません。



つらつらと思ったままに書きなぐってみたところ、とりとめのない文章になってしまいました。

言いたいことは簡単にはまとまりませんが、大きな力も勇気もない自分ではありますが、ほんの少しだけは使命感にも似た感情を持って教育に携わっております。

公教育の現場から聞こえてくる悲鳴は、決して他人事で済ませてはいけません。

社会全体が、真に必要な改革を目指し、歩みを進めなければいけないと、そう思うわけです。

私は私なりに、小さな役割を果たすべく、日々努めて参ります。

西野でした。

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